2008年04月30日
鳥居川の水車・・・・・・水に親しかった頃
太公望には、またとない時期の到来です。
鳥居川も釣りにいい季節となりました。
その、鳥居川を使って、江戸末期から大正期に掛けて、「水車」が活躍しました。
鳥居川の水を、引き入れて、その水力を利用して、米や小麦を引いたのです。
往時、鳥居川の水車があった豊野町大倉入地区(イリ地区)には、20箇所ほどの
水車が活躍していたそうです。
信州とりわけ、北信濃では、「おやき」を中心に粉食が盛んであったわけですが、豊野地区でも、リンゴが作付けされる以前は当時の豊野町北部は、「菜黄麦青」といわれたように、春には、菜の花の黄色と、麦の青さが際立つ春であったわけです。
今の時季善光寺平の豊野辺りでは、「菜黄麦青」の面影は無く、リンゴや梨の白い花が奇麗に咲いていますが・・・・。
刈り取った小麦をこの水車を使った、「精米やさん」に粉に引いてもらったのでしょう。そうして、北信名物の「丸茄子」など使って「北信ならではの丸ナスのおやき」をずっと今の時代に伝えてきたのです。
おやきの文化は、こうして麦の栽培から、麦を挽いて、自家で米の代わりに主食として、伝わったのでしょう。
「水車」は、電力が発達する、大正末期までかなり繁盛したようです。
こういった小さな水車は、須坂の町にもあったようです。
須坂は、ご存知のように、岡谷と並ぶ製糸の街でしたが、
製糸に使う糸を繰る機械に水車の動力は欠かせなかったようです。
今は、豊野町入地区でも須坂でも水車の面影はありません。
川は、ひとたび豪雨になると、家をも飲み込む脅威でしたが、
田んぼの水を引いたり、水車に使ったり、身近に上手く川を利用していたに違いありません。
鳥居川で、泳いだり、石の下に手を突っ込んで、魚を捕まえたりは、
もうしていないのでしょう。
鳥居川は、生活に無くてはならなかった川はもとよりですが、
昭和50年代の小学生にとっては、遊びに欠かせない絶好の遊び場でした。
もっと言うならば、鳥居川は、小学生にとっては身近な場所でした。
最近、鳥居川の川辺に行っていません。
釣りもトンとご無沙汰です。
「水車」はなくなり、川で遊ぶ小学生も今ではいないでしょうが、
もっと身近に川を考えたいものだと思う今日この頃です。
鳥居川大倉入地区付近。
この辺りから、用水に水を引き、水車を回したのでしょうか。

石の下に手を突っ込むと、「ハヤ」や「オイカワ」をつかまえることが出来たが、今はどうでしょうか。
ニジマスは、簡単に釣れますが、技術を要する「友釣り」をしなければならない「鮎釣り」は、
我々小学生にとって、憧れであった。

鳥居川が、千曲川のに合流する付近。
未踏の地に探検するには、勇気が要った。
河口付近は、千曲川が身近でなかったせいか、「恐怖感」があり、
近寄りがたかった。

善光寺平のくだものたち リンゴ・桃・梨
滴る果汁と濃厚な甘さ・・・・信州の銘桃「川中島シリーズ」
安心安全な無農薬の新鮮野菜の美味しさ・・・・お野菜セット
信州北信濃 坂爪農園 信州ギフト
鳥居川も釣りにいい季節となりました。
その、鳥居川を使って、江戸末期から大正期に掛けて、「水車」が活躍しました。
鳥居川の水を、引き入れて、その水力を利用して、米や小麦を引いたのです。
往時、鳥居川の水車があった豊野町大倉入地区(イリ地区)には、20箇所ほどの
水車が活躍していたそうです。
信州とりわけ、北信濃では、「おやき」を中心に粉食が盛んであったわけですが、豊野地区でも、リンゴが作付けされる以前は当時の豊野町北部は、「菜黄麦青」といわれたように、春には、菜の花の黄色と、麦の青さが際立つ春であったわけです。
今の時季善光寺平の豊野辺りでは、「菜黄麦青」の面影は無く、リンゴや梨の白い花が奇麗に咲いていますが・・・・。
刈り取った小麦をこの水車を使った、「精米やさん」に粉に引いてもらったのでしょう。そうして、北信名物の「丸茄子」など使って「北信ならではの丸ナスのおやき」をずっと今の時代に伝えてきたのです。
おやきの文化は、こうして麦の栽培から、麦を挽いて、自家で米の代わりに主食として、伝わったのでしょう。
「水車」は、電力が発達する、大正末期までかなり繁盛したようです。
こういった小さな水車は、須坂の町にもあったようです。
須坂は、ご存知のように、岡谷と並ぶ製糸の街でしたが、
製糸に使う糸を繰る機械に水車の動力は欠かせなかったようです。
今は、豊野町入地区でも須坂でも水車の面影はありません。
川は、ひとたび豪雨になると、家をも飲み込む脅威でしたが、
田んぼの水を引いたり、水車に使ったり、身近に上手く川を利用していたに違いありません。
鳥居川で、泳いだり、石の下に手を突っ込んで、魚を捕まえたりは、
もうしていないのでしょう。
鳥居川は、生活に無くてはならなかった川はもとよりですが、
昭和50年代の小学生にとっては、遊びに欠かせない絶好の遊び場でした。
もっと言うならば、鳥居川は、小学生にとっては身近な場所でした。
最近、鳥居川の川辺に行っていません。
釣りもトンとご無沙汰です。
「水車」はなくなり、川で遊ぶ小学生も今ではいないでしょうが、
もっと身近に川を考えたいものだと思う今日この頃です。
鳥居川大倉入地区付近。
この辺りから、用水に水を引き、水車を回したのでしょうか。

石の下に手を突っ込むと、「ハヤ」や「オイカワ」をつかまえることが出来たが、今はどうでしょうか。
ニジマスは、簡単に釣れますが、技術を要する「友釣り」をしなければならない「鮎釣り」は、
我々小学生にとって、憧れであった。

鳥居川が、千曲川のに合流する付近。
未踏の地に探検するには、勇気が要った。
河口付近は、千曲川が身近でなかったせいか、「恐怖感」があり、
近寄りがたかった。

善光寺平のくだものたち リンゴ・桃・梨
滴る果汁と濃厚な甘さ・・・・信州の銘桃「川中島シリーズ」
安心安全な無農薬の新鮮野菜の美味しさ・・・・お野菜セット
信州北信濃 坂爪農園 信州ギフト