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プロフィール
ドジヒコ
ドジヒコ
とよの町で桃・梨・リンゴといった「善光寺平のくだものたち」を作っています。
いわゆる「アラフォー」の世代となりました。
都内での百貨店でのアパレル勤めから、20年ぶりの故郷長野で日々悪戦苦闘しています。
桃・梨・りんごと善光寺平のくだものを中心に、自然にやさしい農業のことを中心に見習い修行中の感じた出来事を随時アップしています。
目下の悩みは、ちょっと食べすぎかなあ・・・・。
お酒も美味いから、ドンドン飲んでしまうし・・・・・・。
空気・お水・食べ物、信州のものは美味しいです。
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2008年01月20日

「ちょうま」 千曲川 その2

金曜日の晩は、新宿で学生時代の友人たちと飲み明かす。歌舞伎町辺りだと、土日なのでたいてい朝方5時くらいまでは営業している。
学生時代の友人たちは、結構教員になったものが多かったため、土日休みがほとんどであった。僕は、デパートに勤めたため平日休みで、土日は休めず、朝方まで語り明かすような飲みは無かった。卒業以来かもしれない。
土曜日の午後から千曲市の県立博物館で、信州ふれあい歴史講座
があり、千曲川通運の歴史の一コマを語る講演会があったので、急遽出た。
本当は、リンゴに桃に梨と剪定シーズンがスタートしているため、すぐにでも手伝わなければならないのだが、しばし時間をもらう。

江戸時代後期には、千曲川を使って、新潟と千曲川沿岸の小布施や松代・善光寺・上田に「塩」を中心とする物資を輸送しようという「壮大な計画」があったようだが、結局は、飯山以北は許可が下りずに、また信越国境の千曲川が船が通るには、非常に荒れていたため、飯山~須坂の福島間が中心の通運に縮小となってしまった。
それも信越線と飯山線が開通すると、千曲川の船の通運は役目を終えて次第に廃れていく。
ただ千曲川通運の歴史に関しては、まだ古文書が読み進められていないため、不明な点も多いようである。解明が待たれる。

子供の頃から「千曲川」を「ちょうま」と呼ぶんだと教えられた。
度重なる洪水による氾濫から「ちょうまは怖い」と教え込まれたため、小布施橋辺りではその「ちょうま」の岸辺に行き、直接「ちょうま」に入ることも、「ちょうま」の水に触れることも出来たはずであるが、
子供の頃から「刷り込み」にあった「ちょうまに対する感情」は到底ぬぐえない。
千曲川を恐れ、いくつもの祠を建て、暴れないように願った反面、その「ちょうま」を利用して、通運をしようという「壮大な計画」に感服する。

千曲川とは、良きにつけ悪しきにつけ切っても切れない関係にあった、善光寺平。人々が遠い昔から、千曲川(「ちょうま」)とどう共存共栄してきたかまだまだ奥が深そうである。
千曲川 立ヶ花~蟹沢付近
島崎藤村の「千曲川のスケッチの碑がある辺り。



最大の難所 山王島~浅野付近
約1キロにわたる「小布施橋」は沿岸部で2番目に長い。


千曲市の歴史博物館。
周囲にイチゴ栽培のハウスがあり、イチゴ狩りが楽しめる。






善光寺平のくだものたち リンゴ・桃・梨 

「完熟」&「完熟」の 「完熟サンふじ」
信州北信濃 坂爪農園 信州ギフト  


Posted by ドジヒコ at 09:43Comments(0)