2009年02月04日
一里塚を行く
豊野町と飯綱町の牟礼を結ぶ、山道に一里塚があります。
豊野町の上神代地区のりんご畑の道を山に登っていくと
調度白坂峠のあたりにあります。
道を挟んで、両側に土を持った「土饅頭」のような
小さな塚が2つあり、それが牟礼と長野市赤沼の間にある
一里塚です。
残念ながら、道路の拡幅工事により、その2つの塚は
削り取られてしまいましたが、まだはっきりと、
「塚」と呼べる土饅頭がはっきりとわかります。
かなり山の中にあり、豊野地区からその場所に行くまでは
徒歩の場合、かなり急坂を登っていかなければなりません。
この道を通って、牟礼と赤沼を行き来していたのかと思うと
江戸の頃の街道を行き交う人々が、かなり健脚であったと思います。
豊野地区には、僕が知っている限りでは、飯山街道の一里塚の跡も
浅野地区にあります。
浅野地区の一里塚は、もう土饅頭の跡形もなく
「塚」のかけらもありませんが、昔僕らが、子供の頃は
「榎の木」が植わっていました。
榎の木は、一里塚を作る際に、家康が信州でも名が知られている
大久保長安に一里塚を全国に作る総監督に任命しました。
その塚を作るように命令したのが、2月4日といわれています。
そして、大久保長安に「塚にはええ木を植えよ」といったのを、
エノキ(榎)と聞いてしまったから、
「榎の木」が植えられるようになったとも言われています。
今年は、善光寺のご開帳があり、
全国から参拝客が見えることでしょう。
江戸の頃、善光寺に、江戸に向かう人々がいて
各地の一里塚を通って、
遠い昔の人々も、善光寺にお伊勢さんに
参拝に旅したのでしょう。
塚が半分削り取られています。

両側の塚を削り取って、舗装道路が続いています。

一里塚跡 史跡看板。

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小さな塚が2つあり、それが牟礼と長野市赤沼の間にある
一里塚です。
残念ながら、道路の拡幅工事により、その2つの塚は
削り取られてしまいましたが、まだはっきりと、
「塚」と呼べる土饅頭がはっきりとわかります。
かなり山の中にあり、豊野地区からその場所に行くまでは
徒歩の場合、かなり急坂を登っていかなければなりません。
この道を通って、牟礼と赤沼を行き来していたのかと思うと
江戸の頃の街道を行き交う人々が、かなり健脚であったと思います。
豊野地区には、僕が知っている限りでは、飯山街道の一里塚の跡も
浅野地区にあります。
浅野地区の一里塚は、もう土饅頭の跡形もなく
「塚」のかけらもありませんが、昔僕らが、子供の頃は
「榎の木」が植わっていました。
榎の木は、一里塚を作る際に、家康が信州でも名が知られている
大久保長安に一里塚を全国に作る総監督に任命しました。
その塚を作るように命令したのが、2月4日といわれています。
そして、大久保長安に「塚にはええ木を植えよ」といったのを、
エノキ(榎)と聞いてしまったから、
「榎の木」が植えられるようになったとも言われています。
今年は、善光寺のご開帳があり、
全国から参拝客が見えることでしょう。
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各地の一里塚を通って、
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