2012年01月19日
人間味溢れる一茶
昨日の新聞に今回の芥川賞を受賞となる
田中慎弥さんのことが書かれていた。
何でも、高校卒業以来
ずっと「書き続けて」きたそうである。
「ずっと書き続けた」というと
僕は、小林一茶を思い浮かべる。
信濃町が生んだ小林一茶である。
一茶も、生涯で
2万句以上という膨大な量の
句を詠んだと言われている。
「我と来て 遊べや親の無い雀」
「雪とけて 村一杯の子供かな」等々
僕が小学校の当時の担任の先生が
信濃町柏原から来られ
一茶のこうした慈悲深い句を
紹介してくれたため
一茶には、昔から親しみを覚えていた。
「やさしくて」自然や子供を愛する
慈愛に富んだ俳人と思っていた。
しかしながら、
2万句も作った背景には
一茶の意外な面もあったようだ。
一茶は、10代の半ば実母亡き後の継母との
仲が悪く、江戸に「奉公」に出させられるのだが
結局、奉公先を転々と変えた挙句に
苦難の末に、俳諧の師匠としての道を歩んでいく。
しかし、江戸で大成をしようと努力するであるが
その夢叶わずに、故郷の柏原に帰り
北信濃の地で
湯田中や長沼・高山・豊野などを
廻り、俳句を指導しつつ
生涯を閉じるのである。
大成しなかった江戸での時代には
住む場所や三度の食事もままならなかったり
「俳句」で食べていくために
なかなか苦労を重ねたようである。
また、故郷に戻ってきたのも
江戸での厳しい生活苦もあったのであるが
父親の遺産を巡って
弟や継母と激しい遺産相続の絡みも
あったようである。
良寛さんのような「聖人」としての
一茶像を描いていたのだが
意外と、一茶にも喜怒哀楽・傲慢など「人間らしい」面があったようだ。
小林一茶が2万句も読んだ背景には
そうした俗世間での人間味も溢れる
人間らしい一茶の一面があったからこそと思う。
一茶も都会に出て
結局故郷に戻ってきた「ユーターン組」である。
僕も、今年で東京での生活より
信州での生活が1年長くなる。
「慈悲深い一茶」像をあらため
「人間味溢れる一茶」に
共感を覚え、あらためて小林一茶を
見つめなおそうと思っている。
長沼北国街道沿いにある
一茶の門人たちの句碑

長沼・湯田中・高山・豊野など
北信濃一帯の門人たちの俳句の指導を行い
生計を立てていた一茶には
長沼の門人が特に多かったようである。

北信濃の象徴「高社山」
一茶の過ごした文化文政時代も
地域のシンボルであったはずだ。

湯田中に高山に行くには
千曲川を、寒風すさぶ中
渡らなければならなかったはずだ。

善光寺平のくだものたち リンゴ・桃・梨
信州のくだもののある生活をご一緒に
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何でも、高校卒業以来
ずっと「書き続けて」きたそうである。
「ずっと書き続けた」というと
僕は、小林一茶を思い浮かべる。
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一茶も、生涯で
2万句以上という膨大な量の
句を詠んだと言われている。
「我と来て 遊べや親の無い雀」
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信濃町柏原から来られ
一茶のこうした慈悲深い句を
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しかしながら、
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あったようである。
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一茶像を描いていたのだが
意外と、一茶にも喜怒哀楽・傲慢など「人間らしい」面があったようだ。
小林一茶が2万句も読んだ背景には
そうした俗世間での人間味も溢れる
人間らしい一茶の一面があったからこそと思う。
一茶も都会に出て
結局故郷に戻ってきた「ユーターン組」である。
僕も、今年で東京での生活より
信州での生活が1年長くなる。
「慈悲深い一茶」像をあらため
「人間味溢れる一茶」に
共感を覚え、あらためて小林一茶を
見つめなおそうと思っている。
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長沼・湯田中・高山・豊野など
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生計を立てていた一茶には
長沼の門人が特に多かったようである。
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一茶の過ごした文化文政時代も
地域のシンボルであったはずだ。
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千曲川を、寒風すさぶ中
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バッタで思う・・・バッタはバッタ
冬の到来・・・・漬物の季節
晩秋から初冬へ・・・・・信州北信濃の一コマ
栗の花がクサイだなんて・・・・・・・それは「印象操作」ですよ!」
タガが緩んで甘くなるの???…渋柿
甘いごちそう???…アケビ
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Posted by ドジヒコ at 06:09│Comments(0)
│北信濃ならでは