QRコード
QRCODE
インフォメーション
長野県・信州ブログコミュニティサイトナガブロ
ログイン

ホームページ制作 長野市 松本市-Web8

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 5人
プロフィール
ドジヒコ
ドジヒコ
とよの町で桃・梨・リンゴといった「善光寺平のくだものたち」を作っています。
いわゆる「アラフォー」の世代となりました。
都内での百貨店でのアパレル勤めから、20年ぶりの故郷長野で日々悪戦苦闘しています。
桃・梨・りんごと善光寺平のくだものを中心に、自然にやさしい農業のことを中心に見習い修行中の感じた出来事を随時アップしています。
目下の悩みは、ちょっと食べすぎかなあ・・・・。
お酒も美味いから、ドンドン飲んでしまうし・・・・・・。
空気・お水・食べ物、信州のものは美味しいです。
オーナーへメッセージ
< 2025年05月 >
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
新規投稿

新規投稿するにはログインする必要があります。会員IDをお持ちでない方はIDを取得された後に投稿できるようになります。

2008年02月23日

道祖神

渋温泉の温泉の華やかな街を橋を渡ると「道祖神」がありました。
道祖神は、信州・越後に多いようですが、わが町「豊野」では見かけません。

道祖神の建立は、江戸時代中期以降に盛んであったようで、
天災・飢饉・疫病を防ぐため。
また五穀豊穣や夫婦二人が仲良く揃って彫られていることからも夫婦愛から子孫繁栄などを祈って立てられたもののようです。

温泉街のはずれにもあったのですが、
渋温泉の温泉街の中にも道祖神を祭ってあり、「双体道祖神」で夫婦二人が彫られていますから、街中のものは夫婦愛とか子孫繁栄を祈願してのものでしょう。

安曇野に良くあるようですが、私の住む豊野町浅野地区の村はずれには、道祖神ではなく「疫病除け」の石の祠が、江戸時代に建立されました。江戸の頃の浅野村など豊野地区で、どうして道祖神が建立されなかったかは是非調べたいものです。

1月15日頃の小正月に行なわれる、「ドンド焼き」を「ドウロクジン」と呼び、村はずれの道祖神のあるような場所で行なわれますから、「ドウロクジン」は「道祖神」と関係があるようです。
我が地区でも「ドンド焼き」は行なわれますから、道祖神こそ無いものの道祖神信仰に類するものはあったのでしょうか。

江戸中期以降豊野地区など北信では、「コロリ」(コレラだと思います。)が流行し、そうした疫病は村外からやってくるされ、村の境に道祖神の無い豊野地区では、「疫病除け」の祠が道祖神の変わりに立ったのでしょうか。


渋温泉の街中にある道祖神を祭った場所。
「お湯掛け道祖神」とあった。
道祖神



渋温泉のはずれ 橋を渡った場所にある「双体道祖神」
雪に埋もれていました。
道祖神


旧浅野村の村はずれにある「厄病除け」の祠。
麻のでは、「赤地蔵さん」と呼ばれている。
道祖神





善光寺平のくだものたち リンゴ・桃・梨 

「完熟」&「完熟」の 「完熟サンふじ」
信州北信濃 坂爪農園 信州ギフト


Posted by ドジヒコ at 10:08│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。