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プロフィール
ドジヒコ
ドジヒコ
とよの町で桃・梨・リンゴといった「善光寺平のくだものたち」を作っています。
いわゆる「アラフォー」の世代となりました。
都内での百貨店でのアパレル勤めから、20年ぶりの故郷長野で日々悪戦苦闘しています。
桃・梨・りんごと善光寺平のくだものを中心に、自然にやさしい農業のことを中心に見習い修行中の感じた出来事を随時アップしています。
目下の悩みは、ちょっと食べすぎかなあ・・・・。
お酒も美味いから、ドンドン飲んでしまうし・・・・・・。
空気・お水・食べ物、信州のものは美味しいです。
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2008年01月10日

千曲川の渡し 

JR飯山線立ヶ花駅のそばに、曾峰公園があります。そこにあるのが、
「千曲川 川船の碑」と「船着き場」の石碑です。
現在は、かなり高いところにありますが、僕の子供の頃は、もっと千曲川の川淵にありました。「千曲川 川船」の石碑もありませんでした。
この辺りに、千曲川の渡し舟があった場所で、文豪島崎藤村も今のJR豊野駅まで、汽車に乗り、ここ立ヶ花まで歩き、ここから船に乗り飯山方面に出かけたそうです。
昨日、長野新潟間の信越線が開通し、急送に千曲川の船便の役割が衰えていったと書きましたが、信越線開通後も船便はあったようで、飯山線が開通するまでは、飯山へは千曲川を使っての船便だったようです。
その後、立ヶ花では、船での「渡し」から「舟橋」に変わります。千曲川に船を並べ、その上に板を敷き、橋としたそうです。立ヶ花は、豊野まで汽車に乗り、そこから湯田中や渋への「湯治」に向かう際には、必ず通らなければならなかったようで、比較的早くに舟橋に変わり、それが木橋となって行きます。豊野は従って、奥信濃への出立点となっていて、今は全く面影すらありませんが、小料理屋があり、旅館があり、関東方面から、蒸気機関車で豊野の地までやってきて、そこから渋方面へ湯治のために旅立って行ったようですから、当時はかなり栄えたようです。その後、長野電鉄が開通し、湯田中方面へは、長野から直接行けるようになり、豊野の奥信濃への出立点としての役割は終わっていきます。交通機関の発達とともに、時代はどんどん変わっていきます。
今、北陸新幹線が開通に向けて突貫工事がなされています。
この開通により、時代が変わっていきますが、北信地区の町並みなどもまたどう変わっていくのか、見守りたいと思います。
千曲川の渡し 


立ヶ花船場跡の碑。
昔は、千曲川の川べりにありました。
千曲川の渡し 


ゆったりと流れる千曲川。
今も昔もとにかく「ゆったり」と流れるというイメージがあります。
しかし、台風などにより増水すると、その様は一転します。
千曲川の渡し 




善光寺平のくだものたち リンゴ・桃・梨 

「完熟」&「完熟」の 「完熟サンふじ」
信州北信濃 坂爪農園 信州ギフト


Posted by ドジヒコ at 13:56│Comments(0)
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