2007年12月21日
自然とともに
リンゴ畑では、雪が降る前に、もう一度草刈りをして、肥料をまいておきます。これから雪が降り根雪となり、2月くらいまでリンゴ畑をはじめ,田んぼは雪に覆われます。そのあと雪解けがありまた春のスタートとなるのですが、雪が降る前に肥料を撒いておかないと、雪解け時季では間に合いません。
我が家の肥料は、牛糞と鶏糞が中心です。牛糞は、ここ「豊野町」から車で小一時間の小林一茶のふるさと「信濃町」黒姫高原の牧場から運んできます。それから菜種粕も使います。明治の頃、まだ養蚕も盛んでなかった頃、千曲川沿岸のこの辺りでは、菜種を栽培していたようです。菜種は絞って油として「行灯」などに使用していたようで、この辺りから江戸まで、須坂の辺りから、峠を越え群馬県をとおり江戸に移出されていたようです。油の絞った後の「菜種粕」は肥料として使い、当時はまだ桑の栽培も無かったため、「綿」が栽培されていたようです。
長野市若穂に「綿内地区」という地名がありますが、綿を栽培していた頃の名残でしょう。
そんなちょっとした「歴史」もあある「菜種粕」ですが今では、「菜種」を栽培している家は先ずありません。
鶏糞に牛糞・菜種粕。なるべく自然の肥料を用いて木にもやさしい農業を心がけたいと考えています。


善光寺平のくだものたち リンゴ・桃・梨
「完熟」&「完熟」の 「完熟サンふじ」
信州北信濃 坂爪農園 信州ギフト
我が家の肥料は、牛糞と鶏糞が中心です。牛糞は、ここ「豊野町」から車で小一時間の小林一茶のふるさと「信濃町」黒姫高原の牧場から運んできます。それから菜種粕も使います。明治の頃、まだ養蚕も盛んでなかった頃、千曲川沿岸のこの辺りでは、菜種を栽培していたようです。菜種は絞って油として「行灯」などに使用していたようで、この辺りから江戸まで、須坂の辺りから、峠を越え群馬県をとおり江戸に移出されていたようです。油の絞った後の「菜種粕」は肥料として使い、当時はまだ桑の栽培も無かったため、「綿」が栽培されていたようです。
長野市若穂に「綿内地区」という地名がありますが、綿を栽培していた頃の名残でしょう。
そんなちょっとした「歴史」もあある「菜種粕」ですが今では、「菜種」を栽培している家は先ずありません。
鶏糞に牛糞・菜種粕。なるべく自然の肥料を用いて木にもやさしい農業を心がけたいと考えています。
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Posted by ドジヒコ at 09:37│Comments(0)