杏から思ったこと・・・・・・長野県の名前
長野県ほど呼び方がいくつもある県は
無いと思っている。
長野県はもちろん「信州」 「信濃」 「信山」・・・
遡ってみると、
明治のの廃藩置県のとき
現在の東北信は、「中野県」であり、
中南信は、「筑摩県」であった。
当初、須坂をはじめ飯山も飯田・諏訪も江戸時代の各藩は
それぞれ須坂県・飯田県になったのだが、
北信地域をなぜ中野が代表したかかというと
中野は、恐らく北信で唯一の天領で、
陣屋があったせいであろう。
郷土史家の故小林計一郎さんの書物によると
長野県の長野は、現在の長野市妻科地域辺りの
「長野村」の呼称であり
当時は、江戸の頃から、門前町として栄えた「善光寺町」の方が
よっぽど大きかったようであり
いわゆる長野村は一寒村の呼び名だったと言っても
差し支えあるまい。
それが、いつの間にか
善光寺町を抜いて現在の長野地域を指す呼び名となり
いつの間にか、南北に広い巨大な県の呼び名にまでなってしまった。
当初、維新の頃の「中野県」は
東北信を指す呼称として、認知されたものの
中野県自体が、善光寺を有する長野村の方が
繁栄しており県庁の所在地としてふさわしいとして
その地位を譲ってしまった経緯がある。
こうして中野県から禅譲されて誕生した
東北信を指す長野県である。
その後、東北信を指す長野県と、中南信を指す筑摩県も
合併したものの、その県庁所在地を巡って
多いに争われていて、
その争いは、現在の長野県庁が建立される
昭和40年代前半まで続いたのである。
なぜ、信濃県とか、信州県としなかったのか。
江戸の頃は、信州・信濃という呼び方は
全国区であり、長野村を表す「長野」より
よっぽど有名であったはずなのに。
さて、なぜ今日こんなことを書いたかと言うと
杏の季節、
杏の品種名に長野県を指す呼び方が実に多いからだ。
「信州サワー」 「信山丸」 「信陽」・・・・
「信山」も「信陽」も長野県を指す古い呼称である。
こう杏に「長野県」を指す呼び方が付くと
次の品種は、「長野○○」か「筑摩○○」か
「信濃○○」か・・・・??
などと勘繰ってしまうのである。
ここでもしかしたら
中野県の逆襲で、「中野○○」と
中野が再登場するかもしれない・・・・・。
実にくだらない話であるが
美味しい杏の季節、
ついつい杏に実に信州の名前が冠されていて
ふと考えてしまた次第である。
ただいま真っ只中
生食でも加工しても美味しい信州の杏
ジャムにすると
杏特有の酸っぱさがたまりません。
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