千曲川通船~信越線~北陸新幹線・・・・時代の流れ。
千曲川の通船は、時代の流れとともに
鉄道に代わってゆきます。
長野県下では、信越線が一番早い鉄道ですが
明治の初頭から始まった鉄道建設は
徐々に全国に広まってゆきました。
今の信越線で言うと、まず高崎~上野間が開通。
それに伴い、まずは直江津~長野間、
ついで長野~高崎間と開通し、日本列島を
長野県を中心に横断する交通網が成立しました。
千曲川の通船を開通した頃は
新潟で集めた塩やお米を千曲川を遡上して運び
途中陸路に変換、鳥居峠を越えて、
倉賀野より利根川に入り、利根川を下って江戸に至る。
という、日本列島を横断する企てもあったのですが
実行されずに、頓挫しています。
信越線は、そうした夢も含め、
日本海側と太平洋側を繋げました。
豊野地区では、明治19年代に信越線の鉄道敷設工事が
盛んとなりますが、同時にその頃流行した「コレラ」も
信越線の鉄道工事とともに、新潟方面から入り
工事現場を中心に、患者を出しました。
今日ご紹介の「コレラ塔の慰霊碑」も
新潟の吉田組が、鉄道工事を行いつつ
コレラに罹患し、この地で命を落としていったことに対する
従業員への慰霊碑です。
そのほかにも、信越線の鉄道工事に伴い
用水が取水できなくなったり
紆余曲折を経て豊野地区鉄道は敷設されました。
今豊野地区には、北陸新幹線の開通工事が
進められています。
千曲川通船から、信越線へ、そして北陸新幹線へ。
時代はドンドン変わって行くとともに
目覚しい進歩には、驚くかぎりです。
コレラ病死者供養塔
旧飯山街道の石村用水のそばに
ひっそりと建っています。
石村用水の供養塔そばを通る信越線。
写真右側中央部のグリーンに覆われた部分では
北陸新幹線の敷設工事が進行中。
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