千曲川 今昔・・・・千曲川通船の時代

ドジヒコ

2009年01月19日 14:27

小布施橋の長さがが1キロの長さであるから
小布施あたりでは、いかに河川敷が横に広く、
川幅がゆったりしているかわかります。

この川幅が、立ヶ花あたりになると
急に狭くなってしまいます。
ということは、洪水にひとたびなった場合
いままで川幅が広くゆったりと流れていたものが
急に川幅が狭くなるので、そこで水が詰まっていきます。

そういった関係で、千曲川に洪水が起きると
立ヶ花あたりで詰まり、
詰まった水はどんどん広い小布施近辺の河川敷を覆い
広い小布施橋あたりでも堤防間で、水で満杯になります。

千曲川には、大小の河川が、流れ込みますが
ひとたび千曲川が上記のように満杯となると
支流の河川から、水が流れなくなり、逆流していきます。

淺川・篠井川・松川・百々川・鳥居川等々
小布施橋から立ヶ花橋にいたるまでもこれだけの河川が
千曲川が満水になると、逆流の危険が生じてきます。

そんな危険な千曲川。
過去にも何度となく洪水を起こし、近隣の農民をはじめ
人々を苦しめてきました。
09年の冬、
今の時期は洪水に心配もなくゆったりと流れています。


江戸の末期から明治にかけて「千曲川通船」なるものが登場し
信越線や飯山線が開通するまでは
従来の北国街道や飯山道に代わり
通運上の交通の要にもなりうるはずでした。

しかしながら色々調べてみても、
この千曲川通船は期待以上の通運上の
役割を担うことがなく
次の交通の要である信越線や飯山線の鉄道に
交代していったようです。

新潟から千曲川を遡上して長野や上田など
船の交通網が直接繋がっていれば
もう少し今の文化や食生活もも変わっていたかもしれません。

豊野の蟹沢あたりにも飯山行きの、通船の
船乗り場があり、明治の初めには
島崎藤村もこの千曲川の通船に乗ったようです。

ひとたび洪水となると、脅威となる千曲川ですが
船でゆったりと松代から飯山間を往来できる時代もあったのです。

洪水の恐怖に散々さらされつつも
脅威でもある千曲川を、「通船」という船によって
千曲川の飯山~松代間という短い距離ではありますが
「利用しよう」としたかつての人々に敬意を払いたいものです。

今、時代は変わり、千曲川には北陸新幹線の
橋げたがいとも容易いように架かっています。
時代の変化には驚きます。











立ヶ花橋近辺の千曲川
川幅は、200メートルくらいでしょうか。
この立ヶ花あたりで、水はどんどん詰まっていき
小布施から南の広大な河川敷が水で満杯になっていきます。


通船のことを物語る看板が東曾峰公園にあります。


公園内には、島崎藤村の千曲川の小説の一文を刻んだ
碑があり、このあたりから、飯山まで
藤村が千曲川通船に乗ったことが記されています。



千曲川に架かる新幹線の橋ゲタ。
奥は篠井川が千曲川に合流する付近。


広い千曲川河川敷小布施橋周辺。
右真ん中の小さな橋が小布施橋。
小布施橋は総延長1キロ
河川敷もやはり広く、このあたりの千曲川は川幅が
かなり広いです。







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