五月雨を集めて早し・・・・・・・
五月雨を集めてはやし最上川
松尾芭蕉の奥の細道紀行の途上の句である。
10年ほど前に山形を旅行したのだが
最上川の様子は、全く記憶にない。
梅雨時の大雨で
「ゴーゴー」と音をたてて流れるほど急流なのか・・?
普段はおとなしい川だけれど、
今のような五月雨の時期、
連日の大雨で水かさが増し、急流なのか・・・・??
さて、芭蕉は、最上川を詠んだが
どっこい信州にもも、五月雨を…の句に匹敵するほどの
大河として千曲川がある。
何しろ、長野県の北半分に降り注ぐ雨を
一手に引き受けるのであるから
五月雨の季節になると
物凄い水かさとなることもある。
北アルプスを源流とする高瀬川の水も犀川も
もちろん東信、北信の全ての河川の水が千曲川に注ぐ。
そんな大河であるが
五月雨の季節、連日の大雨となると
普段はおとなしく見える、千曲川は
「集めて早し・・・」どころか
それ以上の恐怖感を覚えるほどの激流ともなりうる。
昨今、千曲川に新幹線の橋梁がかかる中野市側の
橋げたの下あたりに、
「千曲川の船橋跡」の史跡の碑が移設された。
鉄橋である立ヶ花橋がかかる以前
旧豊野町と中野市は、
千曲川にかかる船橋で結ばれていた。
中野市教育委員会の説明文によると
千曲川に鉄橋が掛かったのが大正14年、
船による「渡し」から、船橋が架設されたのが明治15年
約半世紀ほど、ここに船橋が掛かっていたわけだ。
船を横に何艘も浮かべその上に、板を渡し、
橋のように渡れるようにしたのが船橋だ。
台風や大水の時は、
板を取り、船を岸に戻し、船橋はお休みとなる。
なんともゆったりとした話だが、
何しろ先ほども述べたが、
長野県の北半分を引き受けて流れるのだから
五月雨の季節となると、
船橋の架設・撤去は大変であったろうと想像する。
今は、立ヶ花橋を車でものの1分もあれば
千曲川を渡ることが出来る。
船で渡っていた頃・・・・・、
そして船橋が掛かっていた頃・・・・・・・、
五月雨を集めて早し千曲川
五月雨を集めて恐し千曲川であったのであろう。
中野市側新幹線橋梁下に移設された立ヶ花船橋跡碑
大水が氾濫したりせぬよう
水神様の祠もある。
左側が来年開通の北陸新幹線橋梁。
対岸が豊野町。
対岸の曽峰公園には
立ヶ花の船付き場の碑があり
そこから、渡し船で対岸に渡っていたり
飯山行きの「船」が出ていたことを説明する碑文がある。
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