道祖神

ドジヒコ

2008年02月23日 10:08

渋温泉の温泉の華やかな街を橋を渡ると「道祖神」がありました。
道祖神は、信州・越後に多いようですが、わが町「豊野」では見かけません。

道祖神の建立は、江戸時代中期以降に盛んであったようで、
天災・飢饉・疫病を防ぐため。
また五穀豊穣や夫婦二人が仲良く揃って彫られていることからも夫婦愛から子孫繁栄などを祈って立てられたもののようです。

温泉街のはずれにもあったのですが、
渋温泉の温泉街の中にも道祖神を祭ってあり、「双体道祖神」で夫婦二人が彫られていますから、街中のものは夫婦愛とか子孫繁栄を祈願してのものでしょう。

安曇野に良くあるようですが、私の住む豊野町浅野地区の村はずれには、道祖神ではなく「疫病除け」の石の祠が、江戸時代に建立されました。江戸の頃の浅野村など豊野地区で、どうして道祖神が建立されなかったかは是非調べたいものです。

1月15日頃の小正月に行なわれる、「ドンド焼き」を「ドウロクジン」と呼び、村はずれの道祖神のあるような場所で行なわれますから、「ドウロクジン」は「道祖神」と関係があるようです。
我が地区でも「ドンド焼き」は行なわれますから、道祖神こそ無いものの道祖神信仰に類するものはあったのでしょうか。

江戸中期以降豊野地区など北信では、「コロリ」(コレラだと思います。)が流行し、そうした疫病は村外からやってくるされ、村の境に道祖神の無い豊野地区では、「疫病除け」の祠が道祖神の変わりに立ったのでしょうか。


渋温泉の街中にある道祖神を祭った場所。
「お湯掛け道祖神」とあった。



渋温泉のはずれ 橋を渡った場所にある「双体道祖神」
雪に埋もれていました。


旧浅野村の村はずれにある「厄病除け」の祠。
麻のでは、「赤地蔵さん」と呼ばれている。





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