微笑ましい土人形。

ドジヒコ

2008年01月28日 10:06

農閑期を利用して、県立博物館に、「信濃の人形-雛人形と郷土人形」展を見にいく。寒さ厳しいが、コンビニに行くと、「恵方まき」はいかがですか?と問われるようになった。「恵方まき・節分」ももうすぐ、寒さが厳しい北信濃にも春がやってくることを感じる。
春といえば、「雛人形」であり、須坂市の展覧会では、800体もの人形を飾った段飾りが展示されているそうである。また同須坂市内の田中本家の雛人形の展示も待ち遠しい。
でも、まあ「雛人形」といっても、段飾りが流行りだしたのは、大正期、デパートがその仕掛け人のようである。生糸輸出に代表される好況日本では、県立歴史館の田中平八の雛人形のような、余りにも高級な段飾り雛人形も当時から、流行こそしたものの、庶民の間では、所詮高嶺の花であったようだ。

私の母・叔母の女の子が二人誕生した、戦時戦後の我が家では、とてもではないが、段飾りの雛人形は購入できなかったようである。お雛様・内裏様と、裃人形等3人官女程度。それも、毎年少しずつ買い足していったものらしい。
祖父の妹夫婦が満州から引き揚げてきたり、戦後の混乱の中では、食べていくのが精一杯で、とてもそんな段飾り雛人形を購入する余裕は無かった。

庶民の間では、県立歴館でも展示しているが、中野市に近い、このあたりでは、「土雛・土人形」がもてはやされたようである。
中野市発祥のこの土雛は、安価で段飾りなどとてもではないが購入できなかった庶民にもてはやされた。まあ、単に「雛人形」としてもてはやされただけではなく、庶民の家庭での「置物・床の間の飾り物」の役割を担っていたようだ。

偶然だが、我が家にも中野の土人形があった。
恵比寿様と大黒様の土人形で、「奈良久雄」作。とあるから奈良家のものである。
そのほほえましい笑顔の人形に思わず「ホッ」としてしまう。
段飾りの立派な雛人形でなくとも、「土雛」といった素朴な土人形を愛でることにより、桃の節句を楽しみ、季節を感じ取った庶民の生活の仕方に敬服する次第である。

微笑ましい我が家の土人形。
インド・中国・日本の神仏混合の象徴の七福神信仰
を探ってみるのも面白い。
飯山市には、七福神巡りもある。
またご案内したいと思います。


恵比寿様。


大黒様




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