3つの歴史。
この3枚の写真に共通のことです。
1つは、長野駅前の「如是姫」像。善光寺縁起の「月蓋長者(がっかいちょうじゃ)」の子供で、病気を治癒してくれた善光寺如来に感謝して、今も善光寺の方角に向いています。
今ひとつは、善光寺境内の6地蔵です。
そして最後が、豊野町浅野にある明円寺の鐘撞き堂です。
3点で共通しているのは、戦時中に軍需用の金属の不足から金属類回収命令が出され、半ば強制的に金属類が回収されていった頃に、金属供出の名の下に駅前の「如是姫」も善光寺境内の六地蔵もそして庶民の信仰の拠り所の寺院の梵鐘も回収されていきました。
戦時中は、各家庭の火鉢・火箸・蚊帳の類まで供出の対象となったようです。もちろん、田舎には必ずあり、無くてはならない「火の見やぐら」の「鐘」まで最終的には回収されていったそうです。
戦後如是姫と六地蔵は新しい如是姫像と六地蔵に鋳直されましたが、明円寺の梵鐘後は、今もそのままで、鐘が無いまま現在に至っています。
当時は違った意味で、銃後の世界にも戦争の波が押し寄せていました。僕は、直接経験はしていませんが、長野県の歴史を紐解くと、先にもお話しましたが、満洲開拓移民移出日本一となったり、戦時中には、多くの疎開の児童がやってきたりと、戦争に振り回された庶民・子供たちの歴史があります。
庶民の子供たちの「街の一寸した歴史の面影」を少しづつですが、探索してみたいと思います。
梵鐘でなく、ドラム缶が吊るされたままの明円寺の鐘撞き堂。
善光寺境内の六地蔵。今のものは、戦後建立されたもの。
駅前の2代目如是姫。
戦時中は、初代如是姫が建っており、その下は防空壕だったそうです。
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