「ちょうま」 千曲川 その2
金曜日の晩は、新宿で学生時代の友人たちと飲み明かす。歌舞伎町辺りだと、土日なのでたいてい朝方5時くらいまでは営業している。
学生時代の友人たちは、結構教員になったものが多かったため、土日休みがほとんどであった。僕は、デパートに勤めたため平日休みで、土日は休めず、朝方まで語り明かすような飲みは無かった。卒業以来かもしれない。
土曜日の午後から千曲市の県立博物館で、信州ふれあい歴史講座
があり、千曲川通運の歴史の一コマを語る講演会があったので、急遽出た。
本当は、リンゴに桃に梨と剪定シーズンがスタートしているため、すぐにでも手伝わなければならないのだが、しばし時間をもらう。
江戸時代後期には、千曲川を使って、新潟と千曲川沿岸の小布施や松代・善光寺・上田に「塩」を中心とする物資を輸送しようという「壮大な計画」があったようだが、結局は、飯山以北は許可が下りずに、また信越国境の千曲川が船が通るには、非常に荒れていたため、飯山~須坂の福島間が中心の通運に縮小となってしまった。
それも信越線と飯山線が開通すると、千曲川の船の通運は役目を終えて次第に廃れていく。
ただ千曲川通運の歴史に関しては、まだ古文書が読み進められていないため、不明な点も多いようである。解明が待たれる。
子供の頃から「千曲川」を「ちょうま」と呼ぶんだと教えられた。
度重なる洪水による氾濫から「ちょうまは怖い」と教え込まれたため、小布施橋辺りではその「ちょうま」の岸辺に行き、直接「ちょうま」に入ることも、「ちょうま」の水に触れることも出来たはずであるが、
子供の頃から「刷り込み」にあった「ちょうまに対する感情」は到底ぬぐえない。
千曲川を恐れ、いくつもの祠を建て、暴れないように願った反面、その「ちょうま」を利用して、通運をしようという「壮大な計画」に感服する。
千曲川とは、良きにつけ悪しきにつけ切っても切れない関係にあった、善光寺平。人々が遠い昔から、千曲川(「ちょうま」)とどう共存共栄してきたかまだまだ奥が深そうである。
千曲川 立ヶ花~蟹沢付近
島崎藤村の「千曲川のスケッチの碑がある辺り。
最大の難所 山王島~浅野付近
約1キロにわたる「小布施橋」は沿岸部で2番目に長い。
千曲市の歴史博物館。
周囲にイチゴ栽培のハウスがあり、イチゴ狩りが楽しめる。
善光寺平のくだものたち リンゴ・桃・梨
「完熟」&「完熟」の 「完熟サンふじ」
信州北信濃 坂爪農園
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