千曲川の渡し 

ドジヒコ

2008年01月10日 13:56

JR飯山線立ヶ花駅のそばに、曾峰公園があります。そこにあるのが、
「千曲川 川船の碑」と「船着き場」の石碑です。
現在は、かなり高いところにありますが、僕の子供の頃は、もっと千曲川の川淵にありました。「千曲川 川船」の石碑もありませんでした。
この辺りに、千曲川の渡し舟があった場所で、文豪島崎藤村も今のJR豊野駅まで、汽車に乗り、ここ立ヶ花まで歩き、ここから船に乗り飯山方面に出かけたそうです。
昨日、長野新潟間の信越線が開通し、急送に千曲川の船便の役割が衰えていったと書きましたが、信越線開通後も船便はあったようで、飯山線が開通するまでは、飯山へは千曲川を使っての船便だったようです。
その後、立ヶ花では、船での「渡し」から「舟橋」に変わります。千曲川に船を並べ、その上に板を敷き、橋としたそうです。立ヶ花は、豊野まで汽車に乗り、そこから湯田中や渋への「湯治」に向かう際には、必ず通らなければならなかったようで、比較的早くに舟橋に変わり、それが木橋となって行きます。豊野は従って、奥信濃への出立点となっていて、今は全く面影すらありませんが、小料理屋があり、旅館があり、関東方面から、蒸気機関車で豊野の地までやってきて、そこから渋方面へ湯治のために旅立って行ったようですから、当時はかなり栄えたようです。その後、長野電鉄が開通し、湯田中方面へは、長野から直接行けるようになり、豊野の奥信濃への出立点としての役割は終わっていきます。交通機関の発達とともに、時代はどんどん変わっていきます。
今、北陸新幹線が開通に向けて突貫工事がなされています。
この開通により、時代が変わっていきますが、北信地区の町並みなどもまたどう変わっていくのか、見守りたいと思います。


立ヶ花船場跡の碑。
昔は、千曲川の川べりにありました。


ゆったりと流れる千曲川。
今も昔もとにかく「ゆったり」と流れるというイメージがあります。
しかし、台風などにより増水すると、その様は一転します。




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