商都 小布施 その1
昨日に続き小布施のことです。
小布施の街を歩くと「赤いポスター」が目立ちます。
小布施の「安市」のポスターです。安市は小正月の15日あたりに開かれるお祭りで、その露店の多さには驚きます。
祖母が、小布施の山王島の出身だたため、物心ついた頃からこの安市には行っていました。豊野ではこういった露店が出る祭りや市が大規模でなかったので、その規模の大きさは子供心にも羨ましかったのを覚えています。
この安市のように、小布施が商業都市であったことは、節々で窺えます。まず北斎館に飾られている「祭り屋台」2台あるのですが、この祭り屋台が、「上町」と東町」のものだそうで、詳しくは調べていないのですが、上町・東町は、行政単位でいうと「小字」ではないかと思います。「小字「」単位で、これほど、荘厳な街り屋台を所有するとなると、かなりの財力が必要かと思います。
さらに小布施には、造り酒屋が4件もあります。「枡一市村酒造」「高澤酒造」「松葉屋」「小布施酒造」。車で移動しても、ものの15分程度で端から端を移動できるほど小さな小布施の街に4件もの造り酒屋があり、平成の今日まで、繁栄し続けるということは、かなりの小布施の歴史的背景とともに、ここの造り酒屋さんに、小布施以外への移出が可能だったという「営業力」があったのではないかと思います。
さらに栗菓子もしかりで、「桜井甘精堂」「栗庵 風味堂」「小布施堂」「塩屋櫻井」「竹風堂」等まだまだ沢山あるのですが、ちょっと数えただけでこれだけあります。
江戸の頃から善光寺講のように善光寺詣ではあったにせよ、善光寺からは徒歩でかなりの距離。小布施の地が祭り屋台が作られ、造り酒屋がこれだけあり、江戸時代に創業した栗菓子屋さんがここまで増えたということは、小布施商人の心意気もさることながら、地理的な魅力があるのではないかと思います。明治に入り、信越線で新潟長野間が開通したため、東京の隅田川やロンドンのテムズ川のようには余り発展しなかった千曲川の水運のようですが、小布施の地に与えた千曲川の水運の力は大きいような気がします。このあたりも詳しく調べてみたいと思います。
「高井鴻山」をしてかの葛飾北斎を招いた「小布施」。北斎にしても齢80歳を過ぎて、北信濃の小布施の地に3年半もの長きに渡り住んだということは、小布施の地には商都としての魅力もさることながら、地理的に繁栄しえた魅力がありそうです。それが小布施ならではの商品にあったのか、小布施と千曲川等の交通手段が結びついた結果なのか、詳しく調べご案内したいと思います。
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